ファッショナブル・ブルー

確かに僕はどちらかというと着飾るのが好きな方だ。
最近は昔のような貪欲さは全く無くなったが、それでも
自分の背骨を保つ程度のお洒落はしようと心がけている。


小さい頃から、服は自分で選んでいた。
姉がいたことと、母が商売をしていたことも関係してい
るだろう。周りの子よりかはちょっと早く興味を持ち始
めたようには思う。


そんなこともあるせいか、昔から「服装に気を使ってい
る人」という印象をもたれることが多い。


とまあ、なんでこんなことをまとめているかというと、
さっきふと。本当にふっと脈絡もなく思ったことがある
からだ。


こういうことってよくあると思う。

結婚や彼女など、男からみた連れ合いの人(まあ、大体の
場合において女性になるのであろうけれども)が、旦那や
彼氏に対してこう言うこと。


「そんな変な格好しないでよ」
とか
「今日はこれとこれね。おいとくから」
とか
「あなたああいう格好しなさいよ」
とか
そういうの。


まあ、つまりは、連れ合いが連れ合いの格好を気にしてあ
ーだこーだ言うこと。


その「あーだこーだ」について「それっていいかも」と地
下の煙隔離施設で、突然に思った。

いやいや、「お前はいったい何を普段から考えてるんだ?」
というツッコミはごもっとも。僕だってそう思った。しか
も、別にそういう光景を見かけたとか、そういうんでもな
い。誰もいない地下の煙隔離施設で1人。急に。確かに変だ
と思う。でも、ふと思いついてしまったのはしょうがない
。うん。しょうがない。


そして、それからもう1つ思った。
そういえばそういうことって今まで一度も言われたことが
無いな。と。


今までそれなりにいろんな人たちと付き合ってきた。結婚は
していないが、まあ、それなりに。でも、その中で今まで一
度も。一度たりともそういったことを言われたことが無い。
本当はちょっと言って欲しいって思ってるのに言われたこと
がないのだ。


さて、ここで冒頭の話に戻ることになる。
もしかしたら、そこに問題があったのか?とね。

が、しかし。思うわけで。


あの「あーだこーだ」言われるのっていいなぁと。うらやま
しいなぁーと。言われたことが無いから言われたいだけなの
かもしれない。それに多分言われても言うことなんか聞かな
いと思う。でも、そういうやりとりってなんかほのぼのとし
ていて平和でいいなぁと無責任に思うのだ。


言いにくいのか、どうでも良いのかはわからないが、そうい
う女を今まで選ばなかっただけなのかもしれない。しかし、
なんかあこがれる。しょーもない願望。


あれ?病んでる?

Non

「そのうち考えることすら飽きてくるから」


そんな言葉を思い出した。


僕が一時期悩みではないけれど、脳の働きの関係
でグダグダとしていた時、友人が言っていた言葉。


常識的で情緒的だ。


彼女が言っていたことは僕の想像通りに、ゆっくり
と確実に起こっている。人間いろんなことを考えて
生きていくべきだけれども。時に考えない方が良い
場合だってあるのだと信じて疑わない。人を救う嘘
だってあるのだからそういうことだって有得るだろ
う。


まあ、僕のように考えなくてはいけないことを考え
ずに考えなくても良いことばかり考えているような
やつには飽きるぐらいがちょうどいいのだろう。と
思ったりもする。




今日は、少し早く起きすぎた。いつもと同じ時間に
寝ているのに、早く起きると眠い。そして仕事だと
いうと余計に眠りたくなる。


事務局に着くと、廊下の電気が消えていた。3本ワン
セットになった蛍光灯の真ん中1本を残して切れてい
る。少し暗いな。と思い、さてビルに連絡を入れない
いけないが、今日は総務が休みだ。勝手に入れていい
ものか。思案した結果。そもそもどこに連絡を入れれ
ばいいのかがわからないことに気がついた。あとで聞
いてみよう。


休憩室ででパンを食べながら新聞を読んでいると、天
気予報が目に入り、すっかり梅雨明け晴れだらけだね。
と。夏は多少雨降るぐらいがちょうど良いと勝手に思
っている。その理由は簡単で。単純に僕が天気雨が好
きだというだけ。天気雨なら毎日だって降ってもらっ
てかまわない。それは言いすぎだが。あの瞬間だけ味
わえる違和感には毎度のことながらわくわくする。


昼飯は何食おう。まあ、結局は弁当か吉野家なのだろ
うけれども。


とりあえず、飽きるまでは考えてみることにしようか。

慢心驕り不遜

慢心とはかういうことを言うのか。


情けなくなった。が、落ち込んではいない。
落ち込んでいても何も解決しないし、時間の無駄だと
いうことを知っているからだ。そういう無駄は嫌い。


普段はネガティバーな癖にこういうときは思いっきり
ポジティブだったりする。自分個人の問題のときは
いくらネガティブになっても迷惑をかけないが、仕事
となるとそれは悪でしかない。と思っている。


今回、仕事で大ポカをかました。


基礎中の基礎を見逃していた。
実はデザイン関係の仕事をしているのだけれども、そこ
で守るべき常識ともいえることを見逃し、失敗した。


慢心。驕り。不遜。


そんなあってないようなくだらない感情に負け、現実
負けた。


うちの会社は零細中の零細であり、一般的な仕事から見たら
非常に規模の小さいものではあるが、うちにとっては非常に
大きな仕事だった。


向くべきは下ではなく前。ましてや後ろなんかではない。
また、今回も助けてもらった。いつか。ちゃんと返せる
ようにならなくては。そう思うばかりで。

カルマギンコウ

atamatansan2008-07-12

「カルマギンコウ」


そんな名前のサイトを作りたいと画策している。
「Bank Of Karman」業を貯める銀行。つか、英語あってんのか?
偏差値アンダー30の人間としてはこれがあっているのかどうかすら
皆目検討がつかない。



作りたい、ああ、HPを作りたい。きっとアクセスなんかありゃしない。
それでもいいの。作りたい。きっとかなり不定期更新でSEOなんか考
える気もない。そんなアンニュイなサイトを作りたい。


というわけで、先ずは形から。デザインラフを作ってみた。


僕は仕事柄イラストレーターやフォトショップは少々扱える。
しかし、webにかんしちゃトーシローもいいとこさ。
イモよ。イモ。「イモね」って言われるぐらい遅れてるのよ。
でも、いいの。とりあえず、デザインだけ作ってみてから同僚に
「ブログで作って♪」ってお願いしたのさ。


ちなみに。僕の同僚は何気にいろんなサイトを作っていたりして、
いわゆるマニア。


頼んださ。「カルマギンコウってブログ作りたいんだけど…」って
即答で。「なんでわざわざ自分の汚点を作らなきゃならないんだ?」
失敬な!!

最近、めっきり歩くことがなくなったなぁなどと思っている矢先に。
ジメジメとした、髪がべたつく様な湿度をより効果的にするかのごと
く照りつける太陽の下、ものすごく歩いた。何も考えられない。何か
を考えてはいるのだけれども、何も頭には残らないし入ってはこない。
真っ白な中、かすかに見える道を歩いている状態をイメージしながら
歩いているような、そんな気分で歩き続けた。


途中、何かを考えようと、電車に乗らなかった自分を心から恨んでみた。
何で歩こうと思ったのだろうかと自分の思考回路を真剣に分解しようと
試みたが、答えはとてもあっさりと見つかったのでイライラだけがつの
った。


全身汗だくになり、シャツが肌に張り付く。ああ、気持ち悪いなぁなど
と思っていた矢先、今度は夕立が降りつけた。湿度が足りない。そうい
って水を足すかのように、短時間に降り注ぎ、効果音さ、と言わんばか
りに雷をならした。それまで汗でへばりついていたシャツは、それが汗
なのか雨なのかわからないような状況になり、よりしっかりと背中に、
腕に張り付いた。


避難するかのように入った喫茶店では冷房が効いていて、実に効率的に
シャツを乾かし、体温を奪う。びしょ濡れで入ってきた客に嫌な顔一つ
せず、冷房を弱めた店員さんと軽く話をして、暖かいカフェオレをいた
だいた。


珍しくカウンターにかけ、まったく頭に入らない読書をしながら、電話
を待ち、カフェオレを飲んだ。5本目の煙草の火を消してカフェオレを
干した頃、雨が上がるのを確認してから店を出た。400円だった。気遣
いと暖かいカフェオレとちょっとした世間話と(頭に入らなかったとは
いえ)読書の場所を提供してくれて400円なら安いものだと思った。


「今日は厄日だ」と思う日が続き、今日はひたすらに歩き、頭に入らな
い読書をして、結局なにもわからないまま、夜にはまた歩いた。しかし
、夜のそれは昼間のそれと違い、すこしすっきりした心持ち。


翌日、つまりは今日もよく歩いた。荷物かついで汗かきながら、歩き回
った。一通り歩き、仕事も終わり、喫茶店でお茶をして、久しぶりにの
んびりと笑えた。笑い方にも何かに追われる笑い方とのんびりと笑う笑
い方とがあると今日はじめて知った。

言葉遊び

言葉遊びは好ましい。


僕には悪い癖があって、言葉遊びを会話の中でし
ょっちゅう使ってしまう。しかもわかり難い類の
ものを。意図的に言葉の意味を取り違えたりもす
る。そうするとしばしばディスコミュニケーショ
ンが起こる。

では、なぜそうなるにもかかわらず僕は言葉遊び
が好きなのか。ちょっと考えてみた。

まず、前提として僕は「言葉は完全ではない、曖
昧なものだ」という認識がある。理由は「誤解」
の日記で書いたようなこと。「その曖昧さ」で遊
ぶ(?)するのが好きなのだ。

こないだよくある話・THE・パラドックスを見つけて
読んでいた。砂山のパラドックスというものがわ
かりやすくてこれいいなと。言葉の曖昧さによる
言葉遊び。
パラドックスというわかり難い言葉を使うのは好
みではないが、日本語の訳を探すと「逆説」とな
るようで。

【砂山のパラドックス
まず、前提として、「砂山は膨大な数の砂粒から
できている」
ああ、そうだよね。僕もそう思う。

それでどうした?とこれ
「砂山から一粒の砂を取り除いても、それは依然と
して砂山のままである」

おお。なるほどね。確かにそうさ。何回になるか
は知らないが、繰り返し繰り返し砂をのけていっ
ても何粒目を取り除いた段階でそれが砂山でなく
なるかなんて言葉では説明できないよね。という
パラドックス


なんでこんなこと起こるのかしらん?というと、
これつまりは「砂山」という言葉の曖昧性からお
こる。要は「砂山」という言葉は明確な定義がな
いということが原因。さあ、面白くなってきた。


ちなみに、このパラドックスから脱出する方法は、
二つある自明の前提のどちらかを否定する。

「砂山は膨大な数の砂粒からできている」
「砂山から一粒の砂を取り除いても、それは依然
として砂山のままである」

例えば、「膨大な数の砂粒からできているものが
砂山ではない」としたり、「砂山から砂粒を取り
除いていき、最後の一粒になってもそれは砂山で
ある」とするしかないのだということらしい。


さて、このようなパラドックスは世の中に腐るほ
どある。例えば、砂山と同じようなことを挙げる
と、「背の高い人」の定義。身長が2メートルある
人はそりゃ背が高い。しかし、その人から身長を1
センチづつ取っていったらどの段階でその人は「背
の高い人」じゃなくなるの?というもの。これも説
明できない。「背の高い人」という言葉が曖昧だか
ら。デジタル。


さて、なんでこんなことに今更ながらまた興味を持
つのかというと、僕は人をみるときにちょっとした
カテゴリ分けをする。ただし、このカテゴライズに
は時間がかかる。その人のことをある程度知らない
とできない。

それは、「デジタルな人」か「アナログな人」

これどういうことかというと、別にパソコンとかデ
ジタル物に強い人とそうでない人という訳ではない。
「思考パターンがデジタルかアナログか」という判断。
よく言われる「私はアナログな人間だからパソコンは
…」というものとはちょっと違う。

僕はおそらく「アナログな思考」を「好む」人間だと
思う。物事を判断・思考するときに方程式を用いない
(ようにしたいと思っている)。というのがわかりや
すいだろうか。これは非効率的はあるが、非常に柔軟
性があると個人的に思っている。

では、「デジタル」な思考とはどういうものか。物事
を判断・思考するときに方程式を用いる人だ。僕はこ
れはあまり得意ではないし、そもそも好きではない。
しかし、これものすごく才能の要ることだと思ってい
る。この思考にはメリットが非常に多い。判断のスピ
ードはものすごく速い。しかし、これには非常に大き
なデメリットもある。それはわかり易さと誤解が紙一
重であるということだ。デジタルな思考をするという
ことは余分な部分をカットして判断する。早いし正確
だ。しかし、カットしている分、他人に理解をしもら
ったり、その人自身があまりにも明確な方程式を持っ
ているために無意識のうちに人の考えを理解すること
が困難になる。


僕は、どんなに仲のいい友人や家族にいたっても「そ
の人の名前しか僕は知らない」と思うようにしている
。デジタルに判断したら簡単だ。あいつはああいうや
つだから。と簡単にいえてしまう。でも、それって面
白いのだろうか?というかそもそも相手に対して失礼
じゃない?とか考えてしまう。デジタルに排除するこ
とによって失われる可能性というものに僕は楽しさを
見出したいと思う。

しかし、このように書いてはいるものの消してアナロ
グの方がいいとは思っているわけではない。アナログ
にはアナログのデメリットがある。だからデジタルが
生まれた。僕も便利なデジタル思考は嫌いじゃない。
よく使う。しかし、これバランスを保てなくなった場
合、これおそろしな、と思うわけで。

僕は、人付き合いを含め、全ての物事を理解するのは
全て言葉遊びだと思っている。言葉遊びをする気がな
くなったときそのそれに対する興味が枯渇したときだ
ろうなと思う。つまりはそういうこと。デジタルでア
ナログを解したいと思う、非常に滑稽な話。そこに真
理なんかない。

風強く雨降らず

19時。

クリスタルタワーでのボランタリー勤務を終え、いつもの
ように地下1階にある煙隔離施設に向かう途中。一瞬だけ
外へ出るところがある。


その場所は風が強く渦巻いて風が吹き抜けていってるよう
で、よろめくほど強い風がふいていた。一階、地上に向か
って吹き抜けた風は、一階、地上にある木をこれでもかと
いうほどザワザワとはやしたて見ていて気持ちよくなるぐ
らいあたりの風景を動かしているのがよい。そんな感覚。


母に電話をしなくちゃいけないなーと思いながら、その渦
巻いては吹き抜け、街路樹をはやしたてる風と、今にも雨
降りそうな感じを見事に演出するマダラに雲が散った薄暗
い空と生暖かい空気があまりにも心地よかったのでしばら
くベンチに座ってみることにした。


しばし、ボーっとしていると携帯がなり、先日引っ越した
という友人から片づけをしていたらついついディスプレイ
をはじめてしまったとか。写真つきできた。


とりあえず、あとから返そうと思ったのだけれども、いや、
もしかしたらあとからだと返せないかもしれないと思い、
返した。


今日は、相変わらず風が強い。明日は雨になるらしい。総
会があるというのに雨だ。どうせなら今日みたいに生暖か
くてちょっと暗くて風が強い。髪がべたべたするような天
気だったらいいのになぁと思う。


多分、今もクリスタルの煙隔離施設前の広場からは相変わ
らず風が吹き抜けているのだろうけれども、その吹き抜け
そのままに、また明日からも一日一日をちゃんと時間飛ば
していけりゃこれ幸いだな、と思うばかりで。