果たして要因はドMであるという自覚があるかどうかなのだろうか。

たばこ法度というものが昔あったらしい。
薩摩藩では死罪になるほどに、しかし、それでも隠れて
吸う人がいたとか。そんな滑稽な話があるものか、と思
った。


僕は煙草を吸う。もうかれこれ10年以上になる。まわり
はどんどんやめていくが、僕はまったくもってやめる気
がしない。しかし、流石に「吸ったら死刑」といわれれ
ば辞める。そこまでして吸おうとは思わない。


ふと、その吸ったら死刑といわれているにもかかわらず
隠れて吸ったという人のことを考えた。
どうしてそんなにしてまで吸ったのか。
下記は、勝手な想像。


まあ、ほぼ当然のことながら当時の煙草は今の煙草とは違う。
いろいろな成分が入っていただろう。依存度だって今の
煙草のように軽くなかったかもしれない。きっと今では
使えないようなものがたんと使われていたかもしれない。


僕は想像する。煙草なんてのは中毒症状がなければ成り
立たないよねと。


さて、話は変わるが、酒と煙草はしばしば同じ天秤にか
けられると思う。
僕は圧倒的に煙草の方が好ましい。別に酒をやめろと言
われても何も辛くない。しかし、僕は煙草より、お酒の
方がずっと有益で便利なものだと思っている。きっと世
間の評価もそうだろう。
ただ、酒はとても「便利な道具」だとは思うが、嗜好品
ではないのだ。飽くまで僕にとって。


そもそも、酒というのは非常に有効に活用される。
例えば、ある日突然ビジネスの世界からお酒が無くなった
としたらどうだろう?下手したら世界恐慌がおこるんじ
ゃないだろうか?とすら思ってしまう。接待がどうだと
かなっているが、お酒の底力はそんなところではないと
想像する。


さてそんな中、その昔のたばこ法度とまではいかないま
でも、煙草を締め付ける動きが盛んだ。


しつこいが、煙草を見てみるとこれこそ「百害あって一
利なし」だと思う。ただの煙に命をかけるなんて喫煙者
は揃って奇跡的な馬鹿だと個人的に思う。もちろん僕も。
お金払って不健康を買うだなんて。自分の事ながら理解
に苦しむ。
そして周りにも不健康をまきちらす。
完全に公害である。
そらわかる。
僕だって煙草の嫌いな人の前では吸わないようにしてい
るし、子どもの前なんて間違いなく吸わない。ただ、わ
ざわざ子どもを煙草の煙があるところに連れてくる不健
康大好き家族がいたりするが。



さて、話が脱線してしまった。煙草の締め付けの話だった。
そう。例えば、タスポ(自販機カード)。例えば神奈川県。
などなど。


まあ、それは時代の流れだ仕方ない。煙草はお酒と違って
役にも立たない(と思う)。受け入れられないというのもよ
くわかる。このご時世、同じ合麻のお酒と違い、煙草には
中毒性がなければ、間違いなく受け入れられずに消えてい
くだろう。


僕はそもそも煙草を吸い出した理由は「格好」である。
ただ、おそらくだが、人が考える「格好」とは違う。
いわゆるカモフラージュ。しかし、「不良の真似事をして
みたい」というカモフラージュかというとまた違う。どち
らかというとその逆のカモフラージュ。ここに関しては頭
悩ませていただくしかない。


そんな格好を得るために吸い出した煙草だけれども、これ
またなかなかやめられない。今までで最高に禁煙して1年。
浪人中に少しでも頭の回転をよくできればと思いやめた。
が、合格してしばらくしたらすぐに吸い出した。


そもそもやめようという気が無い。
なんでだろうか。健康には悪いし、精神安定的な要素も無
いのにだ。
(そもそも落ち着くから煙草を吸うなんていっている人は
立派な中毒者だと思う)


では、なぜにそこまで明らかに「害」であると理解しつつ
も僕は煙草を吸うのだろうか?


今の所、「見栄2、中毒5、ブレーキ3」といったところだろ
うか。
「見栄」というのは仕方が無い。
「中毒」というのも仕方が無い。
「ブレーキ」というのは想像してもらうしか仕方ない。


今のところ、これらの要素を乗り越えるだけの理由が無い
ので吸っているが、もしかしたら明日急に「やめる!!」と
いうかもしれないし、死ぬ直前まで吸っているかもしれない。


まあ、結局はただの中毒者ということでしょうか。
とりあえず現代のたばこ法度。出るまで待とうか。