ゴカイ

世の中には誤解というものがある。
なんでそんなことが起きるのかな?と考えると僕の半分
腐った脳みそはなかなか答えを導き出せない。不完全な
のだから仕方が無い。
かなり大雑把に言うとそれは価値観の違いということに
なるのだとは思う。
(詳細な言葉を省く理由は世間では「大人の事情」と片付
けられるものだと思う。ほら、野球の話ってよくこじれ
てしまうでしょう?)


というわけで、「僕の勝手な」思考でその理由を少し考
えてみた。無駄な時間。


一応誤解という言葉を調べてみた。これを共通認識でき
たらいいなと思う。
【誤解】
(名)スル
事実や言葉などを誤って理解すること。思い違い。


ということらしい。


そもそも人は言葉を持ってしか物事を理解できない。認識
できないと「僕は」思っている。名前の無いものはそれが
「何」であるかすら理解はできないよねと。
例えば、「お箸」というものに名前がなかったとする。そ
うしたら、「お箸」という言葉が無いかぎり「それ」が「
何」かは理解できないと思う。認識すら出来ない。ただの
棒が2本。もしそこに「棒」という言葉がなかったら?それ
が何か説明も出来ないし、つまりは理解も出来ないという
認識。


僕はそういった学問があるのかどうかも知らないので、当
然、そういう物事を認識するとか、言語学とかを学んだこ
とはない。もしかしたらものすごく見当はずれなことを言
っているかもしれないけれども、それはそれで戯言として
受け流していただけるとこれ幸いで。


という前提を置いたとして、僕なりに何故に「誤解」が発
生するのかを考えてみた。一言で言ってしまえばおそらく
それはディスコミュニケーションが原因なのだろうと思う
。ではなぜディスコミュニケーションが起きるのか。


それは「言葉」が共通認識としての「意味」をもてていな
い場合に発生すると想像する。
このような例を出していいのかはわからないが、例えば識
字率が低いところがあったとする。そうすると、そこでは
物事の共通認識が生まれないのではないだろうか。そうな
ってくると何が正しくて何が間違っているのかということ
が人によって変わってくる。誤解が生まれやすくなる。


とまあ、大層な書き方をしてみたが、こんなことは日常茶
飯事。人によって知っている言葉も違えば、その「理解」
の仕方も違うからだ。そんなことは往々にある。それは単
に「好み」だったり「大人の事情」だったりする。
本当は言葉は普遍であるべきなのだろうけれども、所詮言
葉はデジタルでそんなには優れていない。アナログなコミ
ュニケーションでしかわからないものだってあると信じて
疑わない。


ちなみにデジタルとアナログの違いを昔、「メールはデジ
タルだから嫌い、手紙はアナログだからいいよね」という
人が言っていたがそれは誤解だと僕は思った。メールであ
ろうとも手紙であろうともそれはデジタルだと「僕は」認
識している。それらをできる限りアナログに近づけること
ができる天才を「僕は」小説家や詩人などの物書きだと思
っている。


さて、そうなってくると人は不完全な「言葉」というツー
ルを持ってしかコミュニケーションを取れないのか?とい
う新たな悩みが発生する。たとえ面と向かって話をしてい
ても、「言葉」を使ってしかコミュニケーションが取れな
いとなると、これは切ない。しかし、人には「声」や「表
情」や「触覚」という優れた機能がついている。それらを
使って少しでも誤解を少なくすることができる。(時にこ
れら優れた機能がかえって誤解を生むことがあるのは百も
承知なのだけれども、それを言い出したら僕の半分以上眠
った脳みそではパンクしそうになるのであえて目をそらす
。見てみぬ振り)


さて、また脱線してしまったが、「言葉を使ってコミュニ
ケーションをするしかない」というものすごく切ない縛り
を受けた人間は「誤解」から抜け出すことはできないのだ
ろうか。ということになってしまう。


「僕の」今の時点での答えは「そりゃそうだ」ということ
になる。つまり、人間がまったく文化、同じ語彙力、同じ
思考をしないことには常々「誤解」というものが付きまと
う。アルファヴィルにでも作らないとそれ無理でないの?
と思う。


しかし、そんなものを作ってしまったら多くの弊害が生ま
れることは間違いない。
文化が死に、芸術が生きたえ、感情がなくなってしまう。
そんな世界が楽しいのかい?と聞かれたら「僕は」そうは
思わない。
つまり、「誤解」とは生まれるべくして生まれた「個性」
の象徴なのではないかと理解する。
「誤解」の無い世界ももし来るとしたら、僕はどうなるだ
ろう?生きていくのが億劫になってしまうかその前に発狂
してしまうのではないかと想像する。


誤解し誤解され、愛し愛され、これ至福の世界ではないの
だろうか。とまた。くだらない無駄な思考。