勝手にしやがれ
びっくりするぐらい時間は勝手に流れていくし、世の中は勝手に
進んでいく。改めてそう思う。
神戸に来て、リアルに震災の話を聞くことが増えた。
あの頃、10年前。僕は中学2年生で、童貞だった。そしてテレビのニュース
でそれを見ていた。
完全なる傍観者。
傍観者は傍観者らしく数字だけで表示される犠牲者の数を目で追っていた
ことを思い出す。あの頃、テレビを見ながら、こう思っていた。
「日に日に死者が何千人と増えていくけれど、無くなった人はどんな人で
どんな人生を生きてどんな亡くなり方をしたのかは全く伝えられないんだ」
クルクルまわるカウンターのように犠牲者がカウントされていくそのニュース
は、極限までその現実を切り離していく。
それが、今、ここに来てリアルになる。
話を聞くという手段でしかないが、どのような人がいて、どのような事に
なっていたのか。
ゴダールの「気狂いピエロ」で、マリアンヌがフェルディナンに言っていた
戦争で死んでいく兵士の話。
それが限りなくデジタルだったものが少しだけアナログに近づいた。
実際に体験していない僕は絶対にアナログを知ることはできないのだけ
れども、言葉によって少しだけ近づくことができる。
時間は勝手に流れていくし、僕はそれに故意的に置いていかれようとしている。
多分それは、気が付いたら余りにも置いていかれていた事実を認めたくない
あまりに反抗しているただの中学生と変わらないのだろう。
変わったのは童貞ではなくっていることと、諦めてしまったことだろう。