気のせい

空気が変わる日というものがある。

お昼ごろに外へ出たら昨日とは空気が違った。
徹夜のせいもあるだろうが、空気が変わっているように感じた。


会社までの道で、なんだか空気全体が白い錯覚を覚えもしたが、
それは多分気のせいであり、その一つの「気のせい」によって
感情が揺さぶられるのが僕は非常に気に入っている。


日本には四季があるおかげで、1年の間に4回の「気のせい」を
体験できる。


それは、365日で7日にも満たない程度なのだけれども、僕はそれ
を感じることでついつい至福を感じてしまう。


今年の春は、僕にどのような時間を提供してくれるのだろうか、
とか、どのような出会いを提供してくれるのだろうか、なんて
ことを無駄に考える時間が昼の通勤であった。


今日は、大学を卒業して以来の懐かしい友達と電話で話した。
ジーが電話で話しているのを横取りして話した。
相変わらず変な女だった。


日が暮れてちょうどいい、まさに心地いい風が吹き出したので、
非常に気分がいい。でも、このような瞬間的快楽にばかり気を
取られてしまう僕はまた多くの要望を抱いてしまうから困る。


ジーが猫の写真を観ながら満面の笑みを浮かべていて席替えを
したいと心から思った僕は、久しぶりに成山画廊を覗いて憂さを
晴らした。